議事録
<1999.1月例会 講演要旨>
秋田の森林鉄道導入と在来林業技術について

秋田工業高等専門学校助教授
脇野 博 氏

平成11年1月25日(月) 於 みずほ苑

 明治時代に秋田で導入された森林鉄道と、それによる在来林業技術の変容について講演していただいた。 森林鉄道導入の経緯

 大正14年(1925)9月27日、秋田県北秋田郡上小阿仁に小阿仁森林鉄道が開通した。その日、上小阿仁の沖田面貯木場には4000名近い群衆が詰めかけ、全村民挙げて森林鉄道の開通を祝ったという。森林鉄道の開通は、従来の方法ではできなかった巨木天然杉の搬出など、良材を大量に搬出することを可能にするものであり、山間地域の振興に直結するもであった。
 森林鉄道は、明治末期から大正期にかけ国有林や御料林(天皇家所有)において相次いで導入された。秋田国有林上小阿仁森林鉄道もその一つである。
 森林鉄道の多くは、全くの新天地に敷設されたのではなく、近世期より地域林業が存在した地に敷設された。これらの地域には、当然林業技術も存在しており、森林鉄道はこれらの既存の地域林業技術と何らかの関係を持ちつつ導入された。換言すれば、森林鉄道導入過程は既存の地域林業技術が”機械化=近代化”される過程であったとみることができる。

秋田の森林鉄道導入の経過  在来の秋田の運材工程の特徴は、3段階に分類できる。 第一期:河川の支流までの運材を、冬季は橇曳などにより行う。            (1)在来運材技術     夏季は出しや出しにより行う。 第二期:増水期には堤出しや散流という方法で筏組場まで運材する。 第三期:河川の本流を利用して、筏を組んだ材木を材木市場まで運材     する。  運材方法には夏季運材と冬季運材が存在したが、河川流送は共通で ある。異なる点は河川流送の場所までの陸運工程にあった。  陸運工程としては、次の方法があった。     ・出し:材木を横に並べてその上を運材するもの。     ・出し:橇を使用し運材する方法。秋田県の運材の特色として、   雪橇を使うことがあげられる。  ・水屋出し: 一種の滑過装置。大量の材木を経済的に運搬でき る。  木馬出しは林道開設に伴って導入されたが未発達であった。地形上 の理由から土橇が利用できない場合の方法として水屋出しが行われて いたが、運材技術の主流は橇であった。橇出しには土橇、雪橇がある が、積雪を利用して冬季から春季に行われる運材が経済的に最も優れ (2)在来運材技術 ていた。   の問題点  陸運工程後の河川運材(堤出し・散流→筏流し)のうち、筏流しは 洪水や渇水という河川の水量に左右されるとともに、流失材による損 失もあり、市場に計画通りに送り届けることが困難であった。また材 木による治水・利水施設の破損等の問題なども発生し、河川運材は限 界に達していた。このように在来の運材方法では、費用、労力、輸送 量、流失材などの問題などがあり、森林鉄道の導入が期待されていた のである。これを在来技術との関わりで述べれば、夏季運材技術体系 という基礎に、新たに森林鉄道が接ぎ木されたと言える。言い換えれ ば、在来技術体系が全面的に変容したのではなく、部分的に変容した 津軽、木曾の森林 のである。 鉄道との比較  森林鉄道の導入は日本各地の国有林、御料林で導入された。ここで は津軽、木曾の在来運材方法との比較により秋田の特徴について考え 1.津軽森林鉄道 てみたい。  津軽森林鉄道は、明治42年(1909)11月に青森・喜良市間の全線が開 通、翌明治43年5月から運転が開始された。この森林鉄道によって、 それまでは十三湖や日本海沿岸、陸奥湾沿岸へと河川を利用して運ば れていた半島内の材木が、青森貯木場に集められることになり、運材 (1)在来運材技術 ルートは大きく変化した。  津軽地方の運材技術は、冬季積雪期の雪橇(雪船とも言う)運搬と 冬期運材のみ 春季融雪期の流水による堤流し(堤出しと同じ運材方法)・管流し (散流と同じ運材方法)であった。津軽では運材が冬期に限定されて いた点に特徴がある。その背景には津軽地方の林業が夏期の農作業と (2)在来運材技術 の兼業であったことがあげられる。 の問題点  津軽地方では、在来運材技術では出材時期が限定され、材木需要に 即応できなかった。また運材終了までに8ヶ月余の長期間を要するこ と、さらに雪中の橇出し運材・管流しのために材木が損傷するなど問 題も多かった。これらの課題が森林鉄道の導入によって克服されるこ 2.木曾森林鉄道 とになった。  木曾地方では小川森林鉄道が大正5年(1916)に開通し、昭和12年(19 (1)在来運材技術 37)には総延長179kmの森林鉄道網が完成した。  木曾で行われていた在来の技術として小谷狩(堤出しと同様の方 法)・大川狩(筏流しと同様の方法)という運材方法がある。木曾式 伐木運材法の基軸になる運材技術は、修羅・桟手だし→堰出し(小谷 狩)→管流し(大川狩)であった。また、木曾においては年間を通し (2)運材技術の問 て同一の方法がとられていた。 題点  木曾では河川運材に対する労働力多投下・運材長期化・木材損失と いう側面が広く認識されるようになった。この限界を克服する手段と して森林鉄道が導入された。森林鉄道の運行期間は3月中旬から12月 中旬であり、木曾式伐木運材法は夏期運材であったことから水運工程 部分が森林鉄道化されたのである。これより、在来伐出技術体系は部 在来森林技術の類 分的に変容した。 型  これらの秋田、津軽、木曾の三地域とも森林鉄道導入の理由は在来 運材技術の限界を克服することであった。しかし、その限界の内容は 共通ではない。秋田、木曾では河川運材によって生じる材木損失問題 が共通してみられたが、津軽においては冬季運材による運材時期の限 定が問題とされていた。ところが、いずれの地域においても河川運材 が行われていた。このような共通した河川運材が存在したにもかかわ らず、秋田、木曾と津軽では運材技術の限界の認識が異なっていた。  秋田と津軽を比較すると、雪橇と融雪による河川運材を軸とする冬 季運材が両地域にみられたが、限界の認識という点では異なっていた といえる。各地域の運材技術を整理すると以下のようになる。   1)秋田    夏季運材:土橇出し→堤出し・散流→筏流し    冬季運材:雪橇出し→堤出し・散流→筏流し   2)木曾    夏季・冬季運材:修羅・桟手出し→堰出し・管流し→筏流し   3)津軽    冬季運材:雪橇出し→堤出し・管流し  秋田と木曾には夏季運材が存在したが、津軽は冬季運材のみであっ た。そのため津軽では、まず運材時期の制約が問題視され、在来の夏 季運材技術の導入が主張されていたが、夏季運材技術を導入せず、森 林鉄道の導入により解決をみた。このような津軽地方の事情が、他に 先駆けて森林鉄道が導入された理由である。  秋田は、自然条件においては津軽と同様に冬季多降雪地域であった が、夏季運材が存在したことから津軽とは対照的に運材時期の制約を 基本的に受けることはなかった。したがって、運材時期が問題ではな く、問題は運材中における材木損失の回避であった。この点は、木曾 おわりに も同様である。  以上のように、森林鉄道が導入された理由、森林鉄道に置き換わっ た行程は、その地域の在来運材技術のあり方に大きく関わっていた。  秋田、木曾、津軽の三つの林業地は、日本三大美林として知られる 日本を代表する林業地である。これらの地域はいずれも明治以降に国 有林や御料林になり、国家的要請にもとづき材木増産に応えなければ ならなかった。  森林鉄道の導入により、運材技術が全く別のものに変容したわけで はなかった。確かに、津軽においては運材技術が大きく変容したが、 秋田・木曾においてはその変容は部分的なものであった。この変容の 違いは、三地域に存在したそれぞれ独自の在来運材技術のあり方に規 定されたものであり、機械化=近代化は地域性と深く関わっていたと いえる。 《フリーディスカッション》  在来運材技術は日本独自の技術ものなのか、あるいは大陸の技術等との関連性があるのかという質問がだされた。これに対し、日本の運材技術は急峻な地形など独特の風土から生まれたものであり、日本独自の技術だと思われるとのことであった。  民有林ではどのように運材をおこなっていたのか、また森林鉄道の導入などの機械化は民有林も対象とされたのか、という質問が出された。これに対して、民有林の場合は間伐材などが主であったため小規模の運材で済んでいた。したがって森林鉄道は国有林、御料林といった国営の森林のみが対象とされていたとのことであった。  江戸時代に民有林は存在したのかという質問がだされた。江戸時代には百姓林(雑木林が主)といった村単位で利用できる土地は認められていたが、良木が産出する森林は藩の所有とされていた。その後、新政府が藩の所有地を国有林化した。江戸時代には主に樹齢数百年という巨木を伐採していた。現在伐採されている杉は樹齢70〜80年のもので明治・大正期にのものである。また、最近は伐採まで50年程度と期間が短くなっている。  伐採をする人々は、山にこもって仕事をしていたのかという質問がだされた。これに対して、伐採時期には山にこもって生活をしていたこと、また津軽では伐採と運材という一連の作業を同じ人がしていたのに対し、木曾では伐採と運材は別であり工程が分担されていたとのことであった。  森林鉄道などの施設や技術は遺産的価値はあるのか、という質問が出された。これに対して森林鉄道の跡地は林道として利用されているものが多く、遺産として保存しているものは少ない。その中では、木曾森林鉄道は現在復活して観光などに利用されている。秋田県では仁別森林博物館は遺産を保存したものである。また抱返り渓谷の遊歩道は手押軌道の跡地であるとのことであった。スイスでは森林鉄道を観光用として利用しているようであるが、現在でも森林鉄道を利用しているところ他にあるのか、という質問がだされた。これに対して、インドネシアやポーランドでは今でも森林鉄道が利用されているとのことであった。  過去の技術史が将来の技術へどのようにつながっていくのかという意見がだされた。これに対しては、機械化などの新たな技術は突然現れて過去のすべての技術と入れ替わってしまうのではなく、今までの技術に新たな技術が持ち込まれた場合に、何らかのせめぎ合いが起こり、ここで技術の導入方法やその後の発展方向に影響があらわれているのだと考えている。そのような法則性を今後の研究を通じて見出したいとの回答があった。


以上 (出席者21名)
     

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 「社会資本整備の課題とその視点」-清水 浩志郎-
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